掲示板
去る5/19(金)、第1回の長月小学校閉校実行委員会を開催しました。閉校という、どの方々にとっても重い行事に向かう話し合いは、学校としても苦心するものでした。長月小の歴史を想い、多くの方々の追憶の念を想いながらも、歩みは進めなくてはなりません。お集まりいただいた方々は、それぞれ様々な思いを抱きながらであったことだろうと拝察いたします。
しかし、そのような中でも、担当者の説明に耳を傾けていただき、前向きな話合いを進めていただいたことに感謝申し上げます。進めていかなくてはならないことはまだまだ多いのですが、歴史を終えることの重みを感じながら、長月地域の皆様と共に取り組みたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
長月小学校の最終年度となる令和5年度の学校教育目標を、「幸せへの道を拓く」としました。「学校に来ることによって、そこに関わる人が幸せにならなくてはならない。学校というところはそういう場所であるべきだ。」という思いから「幸せ」という言葉にこだわってきました。その幸せへの道を「拓いていく」最後の一年にする、という思いを込めています。
一年後には必ずやって来る別れの時。その旅立ちの先にも私たちの未来は続いていきます。その先をしっかりと切り拓いていく。自分の力で歩んでいく。そのための一年にしていくのだ、という思いで教職員一同取り組んでいきます。大切な最後の一年、保護者や地域の方々と共に歩んでいきたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
上の言葉は、イチロー選手の言葉です。有名な言葉なので御存知の方も多いことでしょう。今年度の卒業式では、この言葉を送りました。二人の卒業生は、これまでこの言葉を体現するような真摯な取組を重ねてきた子供たちでした。どうかこれからもこつこつと努力を積み重ねて、幸せな人生を歩んでほしいと強く思います。そして、それは卒業生だけではなく在校生も、そして我々も同じだと思うのです。大切なことは実は自分の近くにある小さなことであり、それをこつこつと積み重ねていくことができるか。自分自身にも問い続けながら歩みを進めなければ、と思っています。
先日、「松山ぼうけん旅行」と称する校外学習を行いました。これは、JRや路面電車などの公共交通機関を活用し、見学場所なども自分たちで決めて行う校外学習としました。そして、その学習したことを先日の参観日に発表するというところまでを一つの学びとして構成しました。この旅行の際に、子供たちに説明したのが表題の言葉です。この言葉のように自分の家の屋根は家の中にいては見ることができない。外に出て初めて自分の家の屋根を見ることができる。つまり、ふるさと長月の良さは対極にある県都松山を見て初めて分かるのではないか、ということです。もちろん場所それぞれに良さはあるのですが、外から眺めることによって分かるふるさとの良さを感じてほしいものです。
私事ですが、正月早々流行り病に伏せってしまいました。人により病状は異なるようですが、私は少々長引いたこともあり、始業式にもオンラインでの参加となってしまいました。
体に不調がある時によく思い出すのが、「心と体は一つ」という言葉です。これは、保健の授業で勉強することの一つです。簡単に言うと、あなたの心と体は決して離れているものではなく、一つなのですよ、ということです。我々はほんの少し指先に切り傷があるとか、ちょっと体調が思わしくないというようなことがあると、気力ややる気も沸いてきにくいものです。逆も同じで、気力が充実しない時に取り組んだ運動では、なかなかパフォーマンスも上がらないということがあります。どちらが大切か、ではなく、どちらも自分自身なのだ、だから共に大切にしていかなければならないとあらためて考えた年始でした。
現代は、日々多くの情報を目にする情報過多の時代と言えます。そのような中で、何が正しい情報なのかということを判断することは重要であり、その際の判断材料の一つに、「科学的に」という視点があります。「本当にその情報は正しいのか。エビデンス(科学的根拠)があるのか。」ということです。そのことに関する「科学的に元気になる方法集めました」という本があり、これがなかなか面白いのです。例えば、「「やる気スイッチ」の入れ方、それは「とにかくやり始める」こと」とか、「背筋を伸ばすとストレスホルモンが減少する」というようなものがあります。そのような科学的に判断する視点をしっかりと持っておくということは、大切なことだと感じています。
久しぶりに朝のドラマにはまっています。冒頭の言葉は、そのドラマの幼い主人公が、仕事で失敗をして落胆する祖母に掛けた言葉です。それまでに、その主人公が祖母から掛けられた励ましの言葉でもあります。
失敗はつらいことであり、できることなら、しないほうが良いのかも知れません。しかし、「失敗しない人」は「何もしない人」とも言えます。生きていく上で、失敗は避けることはできません。その失敗から何を学び、どう成長していくか、それこそが大切なことなのでしょう。そして、何よりも、少々の困難には負けないという強い心を育てていくことが大切だと思うのです。
「健康寿命に大きく関係するものは、運動や食事よりも、実は『読書』である」ということを聞いたのは、以前視聴したテレビ番組でした。「えっ⁉運動や食事、睡眠などよりも⁉」と驚いた記憶があります。読書をするということは、思考すると共に、新しい知識を得ること、それに伴い知的好奇心が高まるということ、そしてそれらの効能として、健康寿命を延ばすということにつながるのではないかと、その番組では推察されていたように記憶しています。
また、最近では、読書をする人の方が幸福度が高い、というようなニュースも見聞きしました。
さて、読書の秋です。もっぱら私は「積ん読」になっていますので、本を手に取りページをめくる楽しさを久しぶりに味わおうかなと思っています。
先日、長月小学校運動会を行いました。台風14号接近を心配しながら、体育館での開催となりましたが、御協力いただいた皆様、どうもありがとうございました。
「運動会」の起源は、海軍士官の養成所における「競闘遊戯会」なるものだそうです。「競う」という文字と共に「遊ぶ」という文字も入っていますので、「大いに競い合う中で楽しむ会にしよう」というような思いがあったのではないかと推測します。現在の運動会も、この「楽しむ」という要素が大きな意味を持つと思っています。子どもたちにとって、また参加、参観していただいた方々にとって、楽しいひとときになっていたら嬉しいなと思っています。
数年ほど前から、夏休み明け9月1日の子供たちを心配する訴えが見聞きされるようになりました。これは、2学期が始まることを嬉しく思わない子、学校への足が重い子が少なからずいるということへの心配です。長期休業開けの心境を考えると、このような気分の落ち込みは昔からあったことですが、昨今では、その論調は変わり、「命を大切に」というような深刻な訴えが多くなっています。
本校では夏休みの終盤から陸上練習が始まることもあり、子供たちの様子の大体は把握できるのですが、やはり9月1日の憂鬱は存在するでしょう。そんな憂鬱に負けないでほしいと思う反面、耐え難い苦しさからは「逃げる」ことも一つの方法であることを、我々大人も自覚しておきたいとも思います。私たち教員は、そのような苦しさを生む要因に対峙するとともに、子供たちの心に寄り添った対応をしていかなければならないと考えています。