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長月小学校閉校式を終えました。149年の長きにわたる長月小学校の歴史にピリオドを打ちました。この教育雑感を書いているのは3月27日ですが、あと4日で長月小学校は役目を終えることになります。
表題の言葉は「サヨナラの意味」という曲の一節です。閉校式のPTA会長の言葉にもあったように、終わりがあるから始まりがある、今はその言葉を拠り所として前に進む時なのでしょう。子供たちは胸を張って一歩を踏み出していきました。私たちも負けずに幸せへの道を拓いていきます。長月小学校に関わった全ての皆様に最大限の感謝を込めて・・・。本当にどうもありがとうございました。
学校教育の中では、最近「非認知能力」という言葉がよく聞かれるようになりました。非認知能力とは、数値で測れる学力ではなく目に見えにくい力、例えば意欲、協調性、粘り強さ、忍耐力、計画性、自制心、創造性、コミュニケーション能力といった能力全般を指します。
学習発表会で行った総合的な学習の発表や、松山ぼうけん旅行の企画や実行、長月冬まつりの運営なども上記の力の育成を目指したものです。これらを子供たちと計画、実行していて思うのは、「することによって伸びる」という言わば当たり前のことです。自分がやることによって企画の難しさや面白さを知り、それを協力しながら克服していく中で自信を深め意欲を高めていくことができる。「学ぶ」ということは受動的ではなく、能動的でなくてはならないということをあらためて感じています。
多くの方が新しい年の訪れを喜んでいたであろう元日に襲ってきた災害でした。私はランニングをしていたのですが、スマートフォンに届いた情報の震度に驚き、「大津波警報」という文字に東日本大震災を思い出しました。その後に流れてくるニュースは目を疑うようなものばかりで、あらためて地震の国に住んでいることを認識しています。
被災地は我々の住む場所からは離れているため実感を持ちにくく、できることもいくらかの募金程度という状況ではあります。しかし、多くの方々が被災された方々へ、また、その対応に携わっている方々の御苦労へ、祈りを送っていることだろうと思います。何にもならないと言われるかも知れませんが、しかし、きっと祈りには力があると信じたい。簡単に「立ち上がり前へ進もう」とは言えませんが、どうか未来が少しでも明るいものになることを強く強く祈っています。
俳句は素人なのですが、子どもたちを巻き込んでラジオ番組「夏井いつきの一句一遊」に時々投句しています。その番組のシステムでは、兼題というものが示されて、その言葉を入れて俳句を作ることになります。今週の兼題は「初山河(はつさんが)」という言葉でした。初めて聞く言葉だったので調べてみたところ、「元日に眺める景色のこと。日頃見慣れた景色も、正月を迎えた心で眺めれば、瑞祥に満ちて特に美しく見えるものである。」という解説がありました。つまり、同じものを見ても心の持ちようによって変わって見える、ということなのでしょう。
まもなく令和5年が終わり、長月小にとって最後となる令和6年が始まります。新しい気持ちで、また新しい年のスタートを切りたいものです。どうぞ皆様よいお年をお迎えください。
今年度のコスモス祭りが無事に終わりました。好天に恵まれ、見事なまでの満開のコスモスに恵まれ、多くの方々の来校に恵まれ、盛大に開催できたことに感謝申し上げます。今回はコロナ禍前に戻るような勢いで、餅つきや餅まきも行われ、子どもたちはもちろんお越しくださった多くの方々が笑顔になった一日であったことを、大変嬉しく思います。
長月小学校は今年度末で閉校となりますが、子供たちは変わらず長月っ子です。地域に暮らし、地域に見守られ、地域で育っていきます。子供たちが育っていく中にコスモス祭りという行事が続き、また、いずれ子供たちがこの祭りを支えていくような存在になってくれることを期待しています。
学級通信に「アンカー」というタイトルを付けたことがありました。それは6年生を担任した時で、小学校の最終走者であるという意味や、船の碇を意味する言葉であることなどから、最高学年として頑張っていこうという思いを込めた命名でした。
先日、南宇和郡小学校陸上競技大会に12名の選手が出場しました。伝統の水色のユニフォームを着て。このユニフォームは平成になった頃に新調され、30年以上多くの子供たちが着用してきたものです。そのユニフォームで参加するのも今年が最後。文字通り長月小学校の長い歴史のアンカーとして大会に参加しました。子供たちはそれぞれの目標に向かって精いっぱい競技に参加しました。この水色のユニフォームもこれが最後と思いながら、立派なアンカーたちの姿をしっかりと目に焼き付けた最後の陸上大会でした。
先日、長月小学校最後の運動会を開催しました。今年は4年ぶりに地域の方々を御案内できた運動会となりました。多くの方々にお越しいただき、賑やかに運動会を開催できたことは望外の喜びでした。綱引きや長月リレーなど、予想していたよりもたくさんの方に参加していただき、運動会を盛り上げていただいたことを心から感謝いたします。最後の運動会にお集まりいただいた方々は、長月小への多くの想いにあふれている方々であったのだろうと思います。母校であったり、かつてPTAの一員として助けていただいた方であったり、または地域のお一人であったとしても、長月小と本校の子どもたちを大切に想う気持ちや愛する気持ち、そのような温かい想いがあふれていたことを強く感じました。そんな皆様の想いに感謝しかありません。今後もそのような想いに支えられていることを感謝しながら、一日一日を大切にして教育活動を進めていきます。
今年度末をもって閉校となる長月小は、何をするにしても「最後の」という枕詞が付きますが、大きな行事である運動会も同様にいよいよ最後の運動会となります。コロナ禍での3年間は、種目削減や時間短縮を余儀なくされてきましたが、今年度は賑やかに行いたいと考えています。地域の方々や卒業生の皆様、どうぞお声を掛け合ってお越しください。子どもたちの競技をご覧いただくだけでなく、綱引きや御荘音頭、長月音頭などの、簡単に出場できる種目も用意しています。運動が好きで、張り切って参加したい方のための種目(リレー)もあります。ぜひ、お誘いあわせの上多くの方にお集まりいただき、秋の一日を楽しんでいただくとともに、長月小の思い出を語り合っていただくようなよき一日になればと思っています。多くの方々の御来校をお待ちしています。
ノスタルジーとは昔を懐かしみ、過ぎ去った時代や時間を懐かしむ気持ちのことです。学校というところは皆が経験しているだけに「俺たちの頃はこうだったよなあ」とノスタルジーを感じやすいところでもあります。
巷では県中学校総合体育大会が開かれているところですが、「私たちの頃の部活は・・・」ということは語られやすいところです。しかし、現在の中学校総体では学校の部活ではないクラブチームの参加もあり、少し前とは様子が変わってきています。これも時代の変化によるもので、よりよく変化しているところなのだろうと思いますが、「あの頃は・・・」という思いについついなってしまいます。
変化の激しいこれからの時代、「昔は・・・」というノスタルジーを越えて、多くの変化に積極的に対応していかなければならないことを強く感じています。
先日の校区別人権・同和教育懇談会では、「おは・なーし屋」さんこと中川公詞先生、美惠先生にお越しいただき、絵本の読み聞かせを通して人権についてお話をしていただきました。その読み聞かせがとても楽しく素敵で、いろいろなことを思いながら心地よい時間を過ごしました。その中で言われた言葉の中に「絵本が力を持っている」というものがありました。お二人の雰囲気づくりや巧みな話術に感心したのですが、それ以上に強調されたのは上記の「絵本が持つ力」でした。自分自身も、我が子が小さかった頃よく読み聞かせをしたものです。なぜか同じ本を何度も聞きたがったのを覚えていますが、それもその絵本の持つ力だったのでしょう。
そして、これは他の様々なことに共通するのかも知れません。テクニックやどう扱うかということよりも、素材そのものが持つ力を信じ、大切にしなければと思わされた言葉でした。